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風と共に去りぬ(1939) [洋画・史劇]

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世界的なベストセラーであるマーガレット・ミッチェルの同名小説をもとに、南北戦争前後のアトランタを舞台に、自由奔放に生きる女性スカーレット・オハラの半生を描いた、「風と共に去りぬ」(1939 アメリカ/原題:GONE WITH THE WIND)
アカデミー9部門(作品・主演女優・助演女優・監督・脚色・撮影・室内装置賞・編集賞・タールバーグ記念賞)受賞という映画史に輝く不朽の名作。当時まだ実験途中だったテクニカラーを導入した、デビッド・O・セルズニックの執念の作品。

監督はヴィクター・フレミング、製作はデヴィッド・O・セルズニック。
出演は、ビビアン・リー、クラーク・ゲイブル、レスリー・ハワード、オリヴィア・デ・ハビランド、トーマス・ミッチェル、バーバラ・オニール、ハティ・マクダニエル、 ウォード・ボンドほか。


1861年のアメリカ。
南部と北部の対立が深まり、内戦の影が忍び寄るころ、ジョージア州タラの大地主ウィルクスの屋敷で、豪華な大園遊会が開かれる。同じくタラの大地主ジェラルド・オハラ(トーマス・ミッチェル)の長女のスカーレット(ビビアン・リー)は、輝くばかりの美貌と火のように激しい気性の少女だった。

社交界の男たちの心を一身に集めていたが、その心は、ウィルクス家のアシュレイ(レスリー・ハワード)に向けられていた。彼もまた自分を愛していると信じて疑わなかったスカーレットだが、その園遊会で、アシュレイと、彼の従姉妹メラニー(オリビア・デ・ハビランド)が婚約すると聞き、驚愕する。

きっとアシュレイは、スカーレットが彼を愛していることを知らない、もし自分の気持ちを知ったら、メラニーではなく自分と結婚するに違いないと信じるスカーレットは、園遊会の時にアシュレイに恋を告白する。アシュレイは情熱的なスカーレットに惹かれてはいるが、結婚は自分と同じ性質の、穏やかで優しいメラニーとするとその決意を告げる。

生まれて初めて拒絶され、逆上したスカーレットの前に、何かと悪い噂の多いレット・バトラー(クラーク・ゲーブル)が現れる。パーティの最中に入った開戦の報せを聞いたメラニーの兄、チャールズ(ランド・ブルックス)は、勇気をふりしぼり憧れのスカーレットにプロポーズする。スカーレットは、失恋の面当てから彼の申し出を受けてしまう。

結婚と同時に出征した夫はまもなく戦地で病死し、開戦2ヶ月でスカーレットは未亡人になる。
喪服で家に閉じこもる生活に嫌気がさした彼女は、母エレン(バーバラ・オニール)の提案に従い、アトランタのメラニーを訪ねる。メラニーと出かけた南軍への募金パーティで、スカーレットは封鎖破りで巨利を得たレットと再会する。
アシュレイがクリスマス休暇をもらい帰ってきた。スカーレットはアシュレイへの思いを高ぶらせていくが、そのスカーレットに、アシュレイはメラニーのことを頼むのだった。

北軍の激しい攻撃がアトランタを襲いはじめたころ、メラニーが陣痛を訴える。スカーレットはアシュレイとの約束を守るため、恐怖をおさえてメラニーのためアトランタに残り、メラニーの子供をとり上げる。そしてレットの馬車で、タラへと逃げる。
道中、南軍の惨状をみたレットは、突如志願を決めて戦地へ向かう。残されたスカーレットはメラニーとその子供をかかえ、タラへ急ぐ。タラでは、すべてが一変していた。母はチフスで亡くなり、父はショックで心を病んでいた。畑は荒れ果て、金はおろか食べ物のかけらさえなく、また、北軍の残党により大切なタラの地が蹂躙されていくのを目の当たりにしたスカーレットは二度と飢えないと神に誓うのだった。

南軍の降伏で戦争は終わった。
タラの再建のために自らを鞭打って奔走するスカーレットには、家族の他、アシュレイとメラニーとその子供をも養わなければならなかった。タラの屋敷と土地を守るため、スカーレットはレットに金策を頼むが断られてしまう。

そんな時、妹のスエレン(イヴリン・キース)の婚約者フランク・ケネディ(キャロル・ウェイ)が、製材所を開いて成功していると知ったスカーレットは、言葉巧みに彼に近づき、彼を妹から奪う。

フランクと結婚したスカーレットは、アシュレイを助手に迎え製材所を営み、北部の人間相手の強引な商売で富を得る。しかし、スカーレットを襲った暴漢に仕返しに行ったフランクが銃弾に倒れて命を落とす。

地獄へ落ちる恐怖に心沈ませるスカーレットに、レットがプロポーズ。似たもの同士の気安さからの結婚だったが、レットはアトランタに豪邸を新築、まもなく娘のボニーが産まれ、しあわせな日々を迎えた。

しかし、ふとしたことから、スカーレットの心にアシュレイへの想いがよみがえる。アシュレイの曖昧な態度が誤解を生み、やがて2人は町の噂になるが、彼らの潔白を信じるのはメラニーだけだった。
嫉妬に苦しむレットは、スカーレットとの離婚を決意して、ボニーをつれてロンドンへ行く。母を恋しがる幼い娘が不憫になったレットはアトランタに戻るが、スカーレットと心にもない口論となり、スカーレットが階段から落ち、流産してしまう。

子供はいらないと宣言しながらも、この妊娠を喜んでいたスカーレット。レットを求めるスカーレットと、スカーレットを求めるレット。互いに求めながらも、素直になれず、すれ違うばかりの2人の関係は、さらに子馬に乗って柵を飛び越えようとしたボニーが、落馬し小さな命を散らしたことにより、ますます離れていくのだった。その直後、メラニーまでが病のために命を落とす。

アシュレイのメラニーへの深い愛を知り、ようやく自身のレットへの真実の愛に気づくスカーレットだが、すべてが遅すぎた。アシュレイを慰めるスカーレットの姿に、レットは愛の炎を消し去ってしまったのだ。レットはスカーレットの哀願に耳を貸さず、故郷のチャールストンへ旅立つ。スカーレットは泣き崩れるが、すぐに立ち上がる。レットをどうやって連れ戻すか、明日のことは明日、自らの生命を育み、傷を癒す場所――タラに帰ろう。そこで、考えればいいのだ・・・。



ものすごく好きな映画なのに、今までここで語らなかったことが不思議です。
要するに、映画を見るたび、原作を読むたびにいろんな発見があって、感想が定まらないためかと思われますが、先日「嵐が丘」(1953)をみたついでにこの映画を見たのですが、いろいろな思いがわきおこってきたので、とりあえずまとめてみたいと思います。

1936年に出版された原作は、マーガレット・ミッチェルが9年がかりで完成させ、出版と同時に爆発的な人気を博して聖書につぐベストセラーになり、37年度のピューリッツアー賞に輝く。本が出版された4週間後に、独立製作者のデヴィッド・O・セルズニックが当時としては破格の5万ドルで映画化権を獲得した。困難を極める舞台裏、レッド・バトラー役のクラーク・ゲイブルと、スカーレット・オハラ役のビビアン・リーの採用など、配役にも伝説的な逸話を多く残すハリウッドの名作ですが、映画ではなく、原作から入りました。

以前にも書いたと思いますが、高校生の頃に原作を読み、夢中になりました。何度も何度も読み、レットの、素直とは言い難い、しかしスカーレットへのあふれんばかりの愛情に心ときめかせ、いつしかレット・バトラーが理想の男性像になっていましたね。16歳のスカーレットに自分を重ね合わせ、2人のすれ違いや、なぜ別れなければならなかったのか理解に苦しみました。

数年前、2人がなぜ別れなければならなかったのか、原作を読み込むうちにようやく理解できたのですが、今回、久々に映画を見て、またわからなくなりました。なぜ2人は別れなければならなかったのか、映画ではまったく理解できなかったので、さらに原作を読んでみたのですが。

映画を見て、メラニーがスカーレットのことを好きになる気持ちが理解できました。たとえアシュレイに頼まれていたとしても、戦火がすぐそばまで近づいているのに、残って子供を取り上げて、さらにタラまで運ぶなんて芸当は、普通はできません。それにタラでのあの苦しい中で家族と他人(アシュレイとメラニー)を養う気力なんて、ありえません。
スカーレットの強靭な精神力と、自由奔放ながらも自分にすがってくる者を払いのけることができない責任感、愛するものへの並々ならぬ信頼と執着がそこにあります。

メラニーにとっては、スカーレットは命の恩人だろうし、表面ばかりで体面と自分のことしか考えない他の人物よりも、なにものにも代えがたい大切な人なのでしょう。また、ひとたび心を許せば、母エレンに対してそうであったように、自分を投げ出して受け入れてもらいたいというスカーレットの弱さ、普段はけっして表面に出ることのない、その彼女の性質にメラニーはふれてしまったのでしょう。
メラニーもまた、彼女に依存し、執着していたと考えられます。

原作のメラニーの方がふてぶてしくて、時にはスカーレットへの悪意さえも感じたことがあったのですが(一読者として)、映画だとそういうごちゃごちゃとした部分がなくなっていましたね。映画だけを見ると、スカーレットを信じて愛するメラニー像が少し理解できました。

レットの心理状態は原作の方が詳しく、かつては、その屈折したスカーレットへの愛情にときめいていたものですが、今、改めて読み返すと、スカーレットをあれほど(一見して)嫌な女にしてしまったのは、レットのせいだと感じてきました。

あまりにも屈折しすぎて、あまりにも余計なことばかりスカーレットに吹きこんでいる。スカーレットはもともと素直なキャラクターだと思います。自分に素直というか。そのスカーレットを、レットの屈折した言動が、どうも狂わせている。10歳以上も年上の、30代の男とは思えないくらい幼稚なレット。

かつては自分も子供だったので、レットのことは「おとなの男性」として見ていたのですが、今、考えると、レットの性格って、けっこう幼稚です。
レットに操縦され、彼よりもさらに子供のスカーレットが、あのようなキャラになってしまったのも、理解できます。
年齢差をこえて「同じ性質の者」と理解し合えるのは、レットの精神年齢の低さによるものなのかもしれませんね。

とはいえ、あの心理描写の応酬は、読んでいるうちにのめりこんでしまいますが。

今回、改めて原作を読んだのですが、今までは登場人物に感情移入しながら読んでいたのですが、今回は違いました。
だからこそ違う感想が出てきたと思うのですが、この作品は、おそらく読めば読むほどまた違った感想が出てくるのだろうし、読めば読むほど、好きになるのだと思います。

映画としては、制作当時がちょうど第二次世界大戦のころで、日本では、アメリカというのはこんなに戦争ばかりしている国だと印象づけるために上映が許可されたそうですが、一方で、ディズニーの「ファンタジア」(1940)の上映は、戦争中にこんな作品を作るアメリカには勝てないと感じさせるものであるため上映許可が出なかったとか。

とはいえ、この映画が与える衝撃も、なかなかなものだと思うのですが。映画における秘話は本当に多いです。手元にいつくか資料がありますが、これをすべて紹介するのも膨大な作業なので、興味のある方は一度調べてはいかがでしょうか。

最後に、レットの最後のセリフ「Frankly, my dear, I don't give a damn」について。

「don't」に「damn」です。なかなかキツイ言い方です。
「damn」は神を冒涜する言葉ですが、言葉の響きからいっても、「ダ」です。「don't」に「damn」。思いっきり相手を突き放したセリフで、へこんでしまいます。最後にこんなセリフを投げつけられて、「Tara,home...」とくるわけですが、久々にこのセリフを聞いて、不覚にもへこんでしまいました。
そんなに嫌わなくてもいいじゃないか、と。

でも、このセリフを聞いて、思いました。
レット、もう少しおとなになれよ、と。

この作品、また感想が変わるかもしれませんが、その時はまた書き直します。


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